大使館TOP日葡関係TOP日・ポ修好150周年関連TOP>日・葡交流史

 

 

 

 

 

 

 

日・葡交流史

 

»中世〜近世

 ・1543年、ポルトガル人が種子島に漂着

 ・1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着

 ・1550年、ポルトガル船が初めて平戸に到着(本格的な南蛮貿易の始まり。)

 ・1582年、天正遣欧少年使節団が日本を出発

(※1584年リスボン到着、1586年リスボン発、1590年帰国)

 ・1616年、ポルトガル船の入港を長崎、平戸に制限される。

 ・1636年、貿易と無関係のポルトガル人を追放、残りのポルトガル人を長崎の出島に移す。

 ・1639年、ポルトガル船の入港禁止

 ・1640年及び1647年、ポルトガル側は国交回復を依頼するも幕府がこれを拒絶


»幕末〜戦前

 ・1860年、ポルトガル使節の日本来航(7月)

 ・1860年、通商条約調印(8月)

(※ 米・蘭・英・露・仏に次ぎ、日本にとって6番目の修好通商条約締結国)

 ・1862年、幕府の遣欧使節団がリスボン到着。正使の外国奉行竹内下野守ほか、通詞として福沢諭吉も参加。

 ・1866年、在日ポルトガル公使館開設

 ・1880年、在ポルトガル日本国公使館開設(※在フランス日本国公使が兼任)

 ・1899年、在日ポルトガル領事館開設(神戸。ヴェンセスラウ・デ・モラエスが副領事として赴任)

 ・1913年、在ポルト名誉総領事館設置(※1945年終戦とともに自動消滅)

 ・1916年、東京外国語大学に日本初の葡語学科設置


»戦時中〜戦後

 ・第二次世界大戦中、日本軍のティモール占拠により両国関係は一時的に断絶

(※ただし、その間もサラザール政権は我が国との中立関係を解消せず)

 ・1953年、日本ポルトガル外交関係再開、在日ポルトガル臨時代理公使着任

 ・1954年、在ポルトガル日本国臨時代理公使着任


»現代(主要な要人公式訪問、記念事業等)

 ・1958年、小林清氏、横地森太郎氏がそれぞれ柔道指導、水泳指導のため来葡

 ・1959年、在ポルトガル日本国大使館設置(公使館からの昇格)

 ・1968年、在ポルト名誉総領事館設置(再設置)

 ・1969年、日本に日本ポルトガル協会が設立される

 同年、徳島市とレイリア市との間で初めての姉妹都市協定が締結される

 ・1970年、壇一雄氏がサンタ・クルスに滞在(1年強)

 ・1971年、ポルトガルにポルトガル日本商工会議所が設立される

 ・1973年、リスボン市に、日本語補習授業校が開校(87年にポルト市にも開校)

 ・1981年、ポルトガルにポルトガル日本友好協会が設立される

 ・1982年、ポルトガル日本人会が設立される

 ・1985年、皇太子殿下(現:今上天皇)のポルトガルご訪問

 ・1986年、ロザ・モタが東京国際女子マラソンで優勝(90年の大阪国際でも優勝)

 ・1987年、東京にポルトガル文化センター(民間)が設立される

 ・1989年、ソアレス大統領の訪日(大喪の礼)(翌年の即位の礼にも出席)

 ・1990年、シルヴァ首相の訪日(大阪花博)

 ・1993年、「葡人の日本到着450周年」(高円宮親王殿下のポルトガルご訪問、ソアレス大統領の訪日)

 ・1995年、ソアレス大統領の訪日

 ・1998年、天皇皇后両陛下のポルトガルご訪問(リスボン海洋博)

    同年、建築家アルヴァロ・シザが「高松宮殿下記念世界文化賞」受賞

 ・2003年、「日葡友好460周年」

 ・2004年、皇太子殿下のポルトガルご訪問

 ・2005年、サンパイオ大統領の訪日(愛知・愛・地球博)

 

 

 

 

 

大使館TOPへ戻る