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最近の両国関係

 

 

1.歴史的な交流関係

●日本と西洋との最初の出会い

 1543年にポルトガル人が種子島に漂着して以来、460年以上に亘る両国間の歴史的交流が始まった。これは、中国や朝鮮との長い交流の歴史を持つ日本にとって最初の西洋との出会いであった。

 

・南蛮貿易 ―両国の交易―

南蛮人と呼ばれたポルトガル人との貿易は、南蛮貿易と呼ばれた。ポルトガル人は鉄砲・火薬・中国の生糸などを日本に輸出し、日本からは銀、金、刀剣などが輸出された。

ポルトガル人が日本に伝えた鉄砲は、戦国大名のあいだに新鋭武器として急速に普及した。足軽(歩兵)鉄砲隊の登場は、それまでの騎馬戦を中心とする戦法からの変革をもたらし、また防御施設としての城の構造も変化させるなど、大きな影響を与えた。

 

・両国交流の足跡

ポルトガル人との交流は、日本語に新しい語彙をもたらした。パンpão、コップcopo、ボタンbotão、タバコtabaco、シャボンsabão等、ポルトガル語をルーツとする多くの言葉が今日の日本語にも残っている。反対に、ポルトガル語のbiombo屏風、catana刀は日本語を起源としている。

 日本にはポルトガルにルーツのある食べ物が伝えられている。カステラと呼ばれるケーキは、ポルトガルのpao-de-loから発展したものと言われている。金平糖と呼ばれるお菓子は、confeitoがルーツである。これらのお菓子は、今日でも日常的に日本で目にすることができる。今や日本料理として世界で知られているテンプラも、ポルトガル語の宗教用語Quatro Têmporas(四旬節。この時期には肉類を避け、魚、野菜を油で揚げたものを食する)を語源とするという説が有力である。

両国交流の歴史を示すもう一つの例が、南蛮屏風である。南蛮屏風はポルトガル人ら南蛮人の日本訪問の様子を描いたもので、当時の風俗を知る貴重な資料となっている。ポルトガルでは、現在、国立古美術博物館(リスボン)、ソアレス・ドス・レイス博物館(ポルト)において、保存、展示されている。

 

●天正遣欧少年使節(1582年~86年)

 日葡交流の出来事として良く知られているのが、天正遣欧少年使節である。1549年、フランシスコ・ザビエルらイエズス会宣教師が日本の鹿児島に到着し、最初のキリスト教布教活動を開始。キリスト教に改宗したキリシタン大名、大友、有馬、大村の三侯は、宣教師ヴァリニャーニのアレンジにより1582年、ローマ教皇に4人の少年使節を遣わした。正使が伊藤マンショと千々石ミゲル、副使が原マルチノと中浦ジュリアンで、いずれも当時13、4歳の少年であった。

 4人の日本人少年は長崎から出発し、マカオ、ゴアを経由して、1584年8月リスボンに上陸し、サン・ロック教会、ジェロニモス修道院、シントラ、エボラなどを訪問、滞在したと伝えられている。スペインでは、時のスペイン王フェリペ二世(1580年のスペインによるポルトガル併合のため、ポルトガル王としてはフェリペ一世)の大歓迎を受けた。その後、一行はローマ教皇グレゴリオ13世に謁見し、1586年4月に再びリスボンから帰途につき、1590年長崎に帰国した。

 

●鎖国

17世紀、日本は鎖国政策をとり、一部の例外を除き外国との交易・交通を禁止する政策をとり、ポルトガルについても1639年にポルトガル船の来航が禁じられた。この政策は1854年に再び日本が諸外国との交易を開始するまで、約200年継続した。

 

●日本を紹介したヴェンセスラウ・デ・モラエス

 1854年にリスボンで生まれたヴェンセスラウ・デ・モラエス(軍人、外交官、作家)は、マカオ港務副司令官等を務めたのち、1899年に神戸領事として正式に日本に移住し、1929年に没するまで生涯を日本で過ごした。

日本に心酔したモラエスは、1902年より、新聞『ポルト商報』の通信員として原稿執筆を始め、当時の日本事情をポルトガルに紹介する功績を残した。主な著作には、『日本精神』、『おヨネと小春』、『茶の湯』、『徳島の盆踊り』等があり、これらの作品はポルトガル人の対日理解、親近感の醸成に極めて大きな役割を果たしてきている。

2004年には、モラエス生誕150周年を記念して、日本とポルトガルの両国で多くの行事が行われた。また、日本においては、徳島日本ポルトガル協会が中心となり、モラエスが晩年を過ごした徳島市にモラエスの青銅像が建立された。この像はポルトガルの方角である西を向いて建てられている。

 

 

2.近年の両国間関係

●記念事業

1993年 日ポルトガル修好450周年。高円宮同妃両殿下の公式御訪問、ソアレス大統領(当時)訪日(国賓)といった多彩な記念行事が行われた。

1999年 フランシスコ・ザビエル来日450周年記念。鹿児島県等で様々な記念行事を開催(ザビエルは1549年鹿児島に上陸。同人はスペイン人であったが、ポルトガル国王の命を受けてリスボンを出発した)。

2003年 日ポルトガル修好460周年。ポルトガル各地において日本人形展、政治経済に関する講演会、車人形ワークショップ、音楽交流フェスティバル、ベレン文化センターにおける日本文化週間などが行われた。

2004年 ヴェンセスラウ・デ・モラエス生誕150周年。日本においては講演会、ポスター展などが行われた他、徳島市にモラエスの銅像が建立された。ポルトガルにおいては講演会、浮世絵展、現代アート展、茶の湯ワークショップなど、モラエスを偲ぶ行事が行われた。

2005年 日・EU市民交流年。八王子車人形ワークショップ、折り紙展覧会、生け花展覧会、歌舞伎ワークショップなど、日本、ポルトガル双方において多くの市民団体が参加し、両国の交流を深めた。

 

●要人往来

1985年 皇太子同妃両殿下ポルトガル訪問

1986年 河本特派大使大統領就任式出席

1987年 藤田参議院議長ポルトガル訪問

1989年 ソアレス大統領日本訪問 大喪の礼出席

1990年 福田元首相、竹下元首相ポルトガル訪問

1990年 ソアレス大統領日本訪問 即位の礼出席

     シルヴァ首相日本訪問  花の博覧会出席

1992年 奥田運輸相ポルトガル訪問

1993年(日ポルトガル修好450周年)

 高円宮同妃両殿下ポルトガル訪問

     ソアレス大統領日本訪問(国賓)

     バローゾ外相日本訪問

1994年 海部元首相、竹下元首相ポルトガル訪問

1995年 亀井運輸相ポルトガル訪問

     ソアレス大統領日本訪問

1997年 ガマ外相日本訪問(外務省賓客)

1998年 天皇皇后両陛下ポルトガル訪問  リスボン国際博覧会視察

     マテウス経済相日本訪問

2000年 ロドリゲス労相、ピナ・モウラ蔵相日本訪問

2001年 海部元首相ポルトガル訪問

     井上参議院議長ポルトガル訪問

2002年 田中外相ポルトガル訪問

     日本の外相として初めてポルトガルを訪問し、ガマ外相との会談、サンパイオ大統領及びグテーレス首

          相への表敬を行った。

2003年 綿貫衆議院議長ポルトガル訪問

2004年 皇太子殿下ポルトガル訪問  リスボン、コインブラ、ポルト訪問

     ゴウヴェイア外相日本訪問(外務省賓客)

 中野衆議院副議長ポルトガル訪問

2005年 サンパイオ大統領日本訪問(万博賓客)  愛・地球博ポルトガル・ナショナルデー(5月24日)に出

          席するため訪日

2006年 中馬内閣府特命担当相ポルトガル訪問

     ピーニョ経済革新相日本訪問

     山口特派大使、カヴァコ・シルヴァ大統領就任式に出席

 

●経済関係

(1)貿易           (出典:日本財務省貿易統計 単位:億円)

 

01年

02年

03年

04年

05年

日本の輸出

702

696

750

※1,021

818

日本の輸入

169

180

193

214

215

収支

532

516

557

806

603

04年輸出額増加の要因は船舶類(タンカー)の受注(118億円)によるもの。

主要輸出品:自動車、自動車部品、原動機、電気計測機器

主要輸入品:PC部品等の事務用機器、衣料、野菜、木製品・コルク製品

 

 

 

(出典:日本財務省貿易統計)

 

(2)投資

a)両国間の投資実績

ポルトガルへの日系進出企業数は32社、ポルトガルからの対日進出企業数は1社(出典:東洋経済新報社)。2000年~2004年の累計では、日本→葡は件数3件、金額21億円、葡→日は、統計に計上される1,000万円超の案件はなし(出典:財務省直接投資統計)。

b)日本からの投資

●全般的な傾向

安価な労働コスト等を背景に19701980年代を通じて積極的に日系企業が進出したものの、その後の環境の変化により投資は停滞し、工場の中東欧や中国等への移転が進んでいる。日本からポルトガルへ進出している企業としては、自動車製造(トヨタ、三菱ふそうトラック)、自動車部品製造(矢崎総業等)、化学製品製造(信越化学、根本特殊化学)等がある。

●最近の主な投資の動き

1999年 電通がサルヴァドール・カエターノ社との合弁による広告・イベント・インターネット事業、マーケティング等を扱う企業を設立。

20004月 ネモトヨーロッパ(根本特殊化学の子会社)が操業規模を倍増。

20005月 ショーティック・ヨーロッパ(昭和電工の子会社)が操業開始。

20017月 トヨタ自動車が出資しているサルヴァドール・カエターノ社は、総額18億エスクード(約900万ユーロ)の追加投資を発表。

2001年 矢崎総業の現地法人であるヤザキ・サルターノはオバル工場の拡充に42億エスクード(約2100万ユーロ)の追加投資を発表。

2002年末 Taiyo Singapore社は、自動車及び携帯電話向けのプラスティック部材を供給するための工場をセトゥーバル市に設立。投資額は、1,490万ユーロ。

2003年 三菱ふそうトラックヨーロッパ社は累積生産台数10万台達成記念式典を開催し、今後5年間に35百万ユーロの追加投資を発表。

200311月 オリンパス光学工業は、欧州全域の光学カメラ及びデジタル・レコーダーの修理を行うサービスセンターをコインブラに設立。

20047月 大洋工作所はセトゥーバル市に建設した工場の竣工式を挙行。

(3)ポルトガルを訪問する日本人観光客は約44,000人(2004年)。

 

3.最近の出来事

●大統領就任式への山口特派大使出席(写真)

 

 3月9日、国会において、カヴァコ・シルヴァ新大統領の就任式が行われ、日本からは、山口泰明内閣府副大臣が特派大使として派遣された。同特派大使は、就任式典の直後に行われた新大統領への挨拶において、日本国民を代表して新大統領への祝辞を述べるとともに、ポルトガルが行いつつある諸改革の成功を祈念する旨のメッセージを伝えた。

●原大使夫妻ポルト市公式訪問(写真)

   

 原大使夫妻は、3月16日18日の期間、ポルトを公式訪問した。

16日、大使夫妻は、リオ・ポルト市長への表敬を行い、ポルト市が取り組んでいる諸課題や長崎市との姉妹都市交流の活性化につき意見交換を行った。また、サルヴァドール・カエターノ社を訪問し、カエターノ会長、メネゼス・ガイア市長等とも意見交換を行い、バスの組み立て工場を視察した。

 17日、大使夫妻は、茶会議オープニングに出席し、日本のお茶の習慣について説明を行った。また、オリヴェイラAEP副会長と会談し、両国間の企業家交流の活性化等につき意見交換を行った。

 18日、大使夫妻はポルトの日本人学校補習校卒業式に出席し、卒業生一人一人に声をかけた。また、アモリン社の視察、文化関係者・企業関係者と懇談し、それぞれの分野で抱えている課題等につき意見交換を行った。

外務大臣表彰

このたび、葡日友好協会に対し、日本国外務大臣表彰が授与された。これは、同協会の25年間に亘る様々な活動が、日本とポルトガルの友好関係促進のために大きく貢献していると評価され、その功績をたたえるために授与されたものである。

9月15日、日本大使公邸において歴代同協会会長、ポルタス・ポルトガル日本友好議員連盟会長他が見守る中、表彰式が行われ、ガミット葡日友好協会会長に対し表彰状及び記念の楯が授与された。

 

                   

 

冒頭、ポ日友好協会に対して、原大使から要旨次のような挨拶を行った。

「貴協会の長年の活動においては、特に二つの大きな課題(challenge)を乗り越えて来たのではないか。一つには、無から有を作り上げていく苦労。さらには、作り上げたものを維持し、意義あるものを作り続けていく苦労。貴協会は、この二つの厳しいハードルを見事にクリアされた。創設当初における、故マルティンス・ジャネイラ元駐日大使、イングリッド・マルティンス同大使夫人、ペドロ・カナヴァーロ氏の尽力には計り知れないものがあったと思う。そして、この場にお立ち会いの歴代会長の方々やガミット現会長等は、これまで25年間の長きに亘って、日本の文化や価値観をポルトガルに紹介するための諸々の行事を継続して開催し意義ある成果を達成してこられた。このような幹部の方々、そしてこれら諸活動を実際に取り進められた友好協会の多くの会員の皆様方の貢献や努力に対して、敬意を表し、今般、麻生外務大臣表彰という栄誉を受けられたことについて、心よりお祝い申し上げる。」

 

続いて、ガミット会長から、要旨以下の通りの挨拶があった。 

「協会の25年間に亘る活動が評価され、外務大臣表彰を授与されたことを誇りに思う。創設以来、先達が築いてきたものを受け継いだ我々は、後世に向けて更なる前進をしていかなければならない。そのためには、従来通りの活動や構想をただ繰り返していくのではなく、我々は、より創造的で、熱心かつ誠実で、さらに実行力のある存在にならなければならない。そうした意味では、本表彰は、将来の活動の励みとなるものである。思うに、真に友好的な相手国を求める時、我々がすべきことは只一つ、真の友人を作りたいというシンプルで謙虚な姿勢を持つことだ。それ以上は望まず、しかし妥協もしないという気持ちをもって、今後とも努力していきたいと思う。」

 

●「旭日中綬章」叙勲

秋の叙勲において、ペドロ・ゲーデス・ド・パッソス・カナヴァーロ元葡日友好協 会会長が「旭日中綬章」を受章された。

カナヴァーロ氏は、葡日友好協会会長、欧州議会議員等を歴任、現在はパッソス・カナヴァーロ財団の会長として、日本・ポルトガル間の関係構築において大きな架け橋となってきたが、今回、こうした長年に亘る功績・功労が評価されたものである。

11月17日、原大使公邸において、同氏の家族、友人、友好協会関係者、元駐日大使ほか約30名が見守る中、勲章伝達式が行われた。

冒頭、原大使が挨拶を行い、カナヴァーロ氏の功績に関して、同氏は故マルティンス駐日ポルトガル大使と共に葡日友好協会を創設するとともに、その後長きに亘り同協会において、更には、独自の財団を設立して、日本・ポルトガル両国民間の文化交流、相互理解の促進に尽力してこられたことを紹介して、その努力に敬意と感謝を表明した。更に、原大使が勲記を日本語及び英語で読み上げて伝達し、同氏に勲章を装着・授与した。

続いて、カナヴァーロ氏より答辞がなされ、「本受章は、自分にとって最高の栄誉と無上の喜びであり、また、(日本を象徴する)旭日そのものを身に付ける重みを感じている。勲章を謹んでお受けし深く感謝申し上げる旨、天皇陛下に御伝達願いたい」等の発言がなされた。

また、原大使より、同氏に対して、日本の価値観をポルトガルに紹介する第二のヴェンセスラウ・ドゥ・モラエス(19世紀末~20世紀初のポルトガル人外交官・軍人兼文筆家。著作を通じ、ポルトガル人に日本文化を紹介した。)になっていただきたい旨を伝えて乾杯を行うなど、行事は終始和やかな雰囲気のもと進行した。

この模様は、メディア複数社のウェブサイトや紙面でも紹介され、本勲章は文化面での功労に対する極めて高位な勲章であること、20世紀に日本の勲章を授与されたポルトガル人は5名だが、カナヴァーロ氏はポルトガルにおいて21世紀初の受章者となるなどと記述された。

 

 

              

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