元ポルトガルオリンピック水泳代表チーム監督・横地森太郎氏の逝去
令和5年1月20日
ポルトガルのオリンピック代表チーム監督を5回務め、同国の水泳競技の発展と日本・ポルトガル交流促進に多大な貢献をされた横地森太郎氏が、1月15日、87歳で逝去しました。
横地氏は、故郷広島で被爆。大学時代より水泳選手として国内外で活躍し、1958年に日本水泳連盟の推薦により水泳指導のためポルトガルへ派遣されて以降は、陸軍士官学校やクラブチーム等において指導を行いました。その後、ポルトガルに留まりポルトガルの水泳代表チーム監督として当国水泳界の発展に尽力されたほか、日本の代表チームも裏方として支援しました。御子息のAlexandre Yokochi氏は、オリンピックを含むポルトガル水泳代表選手として活躍されました。
また、2010年には、日本・ポルトガル修好150周年現地推進委員会委員を務められるなど日ポ関係促進にも尽力される一方、実業家としても、日本食レストラン「BONSAI」のオーナーとして長年経営に携わりながら、常に日本人シェフによる日本食を提供し、ポルトガルにおける日本食文化浸透の礎を築かれました。
その長年にわたる日本・ポルトガル友好関係への貢献に対し、平成22年度春に旭日双光章を叙勲されています。
ここに、故横地森太郎氏の残された偉大な足跡を偲ぶとともに、同氏のご逝去に際し、在ポルトガル日本国大使館として謹んで哀悼の意を捧げ、御冥福をお祈りします。
横地氏は、故郷広島で被爆。大学時代より水泳選手として国内外で活躍し、1958年に日本水泳連盟の推薦により水泳指導のためポルトガルへ派遣されて以降は、陸軍士官学校やクラブチーム等において指導を行いました。その後、ポルトガルに留まりポルトガルの水泳代表チーム監督として当国水泳界の発展に尽力されたほか、日本の代表チームも裏方として支援しました。御子息のAlexandre Yokochi氏は、オリンピックを含むポルトガル水泳代表選手として活躍されました。
また、2010年には、日本・ポルトガル修好150周年現地推進委員会委員を務められるなど日ポ関係促進にも尽力される一方、実業家としても、日本食レストラン「BONSAI」のオーナーとして長年経営に携わりながら、常に日本人シェフによる日本食を提供し、ポルトガルにおける日本食文化浸透の礎を築かれました。
その長年にわたる日本・ポルトガル友好関係への貢献に対し、平成22年度春に旭日双光章を叙勲されています。
ここに、故横地森太郎氏の残された偉大な足跡を偲ぶとともに、同氏のご逝去に際し、在ポルトガル日本国大使館として謹んで哀悼の意を捧げ、御冥福をお祈りします。